日露戦争末期、1905年、元号になおすと明治38年、日本海海戦での日本の勝利には参謀秋山真之の戦争に対する大きな思いがありました。それは、それまでの日本の戦争のやり方は、一部のものしか作戦の全容を知らずに、上官の命令にただ従うというものでした。

しかし、軍人秋山真之はこのようなやり方では戦争には勝てないと思っていました。なぜならば、秋山は一部の軍人が考えた机上のプランではいざ実際にことが起こったときにはそのプランだけでは実際の戦争では対応できなくなるということも、彼の実際の戦争から学んで知っていたのです。

彼は士官から水兵に至るまで戦争にかかわる全員が作戦を理解し、予想をど返しするようなどのような不測の事態になったとしても、瞬時に修正する判断力を持たなければ戦いに勝てないと考えていたのです。

これは、彼が実際にサンチャゴ海戦で一隻のアメリカの艦船が独自の戦況判断で単独請行動を行い、アメリカ軍を勝利に導くのを目撃した経験からえた信念でした。

彼は日露戦争の日本海海戦でバルティック艦隊との対戦で彼の考えたT字戦法を行ないました。しかし、実際の戦争では彼の考えた通りにはことが進みませんでした。そのとき彼の部下である後方の戦隊にいた第二戦隊司令官上村彦之丞が独自の状況判断を行たのです。彼は、上官の命令には従わず、彼、独自判断で敵艦隊を追撃したのです。

彼はこの戦い作戦の眼目を理解していたので、それを成し遂げるために上官の小さな命令に違反しました。しかし、彼の行ったことは作戦を達成させるために独自の判断で行動を行うことこそが作戦を遂行するすのは一番だと考えてこのように行動したのです。

これは上司が考えたことをそのままやるのではなく、組織での考えを尊重しながら、それを個人がどのようにやるかを個々人で考えなければならないということだと思います。