皆さん、電車や街で中学、高校の生徒さんで、制服を崩して着ている子を時々見かけたりしませんか。

例えばネクタイをすごくゆるめていたり、ブレザーのそでをまくっていたり、あるいはまた、ズボンが酷くずっていていたり。私は通勤の途中などに時々そういう生徒さんたちを見かけます。

そういう”着崩し”を、彼らなりの個性の表現として温かく見守るのか、あるいはお行儀が悪いといって叱るのか?
学校の先生はご両親はどう判断しているのか?もし自分の子だったらどうしていただろうか?
そんな事をあれこれ考えていてふと思ったのですが、ではわれわれ大人、特に会社勤めの大人はなぜああいう着崩しをしないのでしょうか?

それを私なりに表現すると「社会とつながっているため」だと思います。

仕事で誰かと会う時に、例えばネクタイを緩めたりしていると、「私はあなたを軽くみています」というメッセージになってしまう。そう思うから、きっちりした服装をするのが当たり前になっているのだと思います。

つまり相手と円滑なコミュニケーションをとるためです。そして、きっちりとした服装をいつも続ける事によって、私たちの周囲の社会と無駄な摩擦のない、良いつながりを保ち続けている事になっていると思います。

服装に限らず私たちは、いろいろ型にはまった、とか型どおりの事をしなければならないことがあります。

例えばどんなに独創的な研究をする学者でも、それを決まった様式の論文に書いて、学会で決めたルールに従って提出しないと、学術雑誌に載せて世間に発表することができません。その一方で研究内容は、独創的であるほど社会から高い評価をえられるでしょう。

このように社会につながるために型にはまるべきところはきっちりはまり、一方、自由にできる部分ではおおいに独創性、独自性を発揮していくのが、人生において大事な事だと思います。

例えれば、人はカップケーキのようなものです。下の部分は型にはまっていますが、型がない上の部分では好き勝手な形に膨らむことができます。

先ほどの中高生の制服についていえば、制服の着方が型にはまるべきことなのか、個性を発揮すべきところなのか、それはそれぞれの家庭や学校の方針にもよるでしょうから一概には言えないかもしれません。

ただ、人はカップケーキのようなもの。社会とつながるために型にはまるべきところ、とそうでない所を区別して考えなければならない。もし自分の子供だったら、そういった原則だけは教育していきたいものだなぁ、そんなことを考えました。