これはおやじギャグを時々言う、ちょっとひょうきんな親戚のおじさんから昔聞いた話です。
 
 そのおじさんは近所の八百屋で安売りしてるバナナを度々買っていたそうです。その店は本当に昔ながらのスタイルで、バナナ四本くらいを乗せた浅いざるを店先に並べて、一盛(ひともり)いくらで売っていたのだそうです。
 
 あるとき、いつものように10個くらいのざるのバナナを見比べたおじさんはて、これぞというのを選んで、ざるごと、店員さんに「これください」と手渡しました。

 店員さんは若い女性ながら、手慣れた手つきでザルを受け取るとそれを傾けて、バナナをレジ袋の中に滑らせようとしました。

 ところが、この日に限って手元がくるったのか、バナナが袋に入らず地面に落っこちてしまったのだそうです。

 もちろんこの後、おじさんは別のざるのを選びなおして、それを買って帰ったわけですが、このひょうきんもののおじさんが言うには、後でちょっと後悔したのだそうです。

 「なんであのとき、『そんなバナナ!』って言わなかったんだろう」って。

 それを聞いて私は、そんなおやじギャグ言ってどうするの?と思ったりもしました。
 
 でもまあ、たしかにこれほどこのギャグがピッタリの場面は、死ぬまでに二度とないかもしれませんからねぇ。言って見たかったんでしょうね。

 おじさんの言うには「『そんなバナナ』も、みんな、何回も聞いたことがあるような、よく言えば定番、悪く言えばワンパターンの駄じゃれだよね」

 「でもそんな前から知ってるフレーズも、とっさに出てこなかったんだ。」
 
 「あ~あ悔しいねぇ。歳はとりたくないもんだねぇ」
 
 って、結局最後は老化現象に対するぼやきみないな話になってしまいました。

 私はそれまで、おやじギャグを言うこと自体が、老化現象の始まりだと、なんとなくそう思っていたのですが、そのおやじギャグすらとっさに出ないという老化現象もあるんだなぁとこの話で知りました。
 
 人間、おやじギャグしか言えないとしても、それが言えるうちが花なんですね。

 おやじギャグも言えるうちは思いっきり言わせてあげるのが、ほんとうはいいのかもしれないなぁと思いました。

 実際にいつもそうするのは難しいけれど、皆さんもなるべくおやじギャグを温かい目で見守っていかれてはどうでしょうか。