旧約聖書の中に「はじめに言葉ありき。言葉は神なりき」という一節が記されています。

旧約聖書が記されたころのキリスト教布教の場は中東の荒涼とした土地で、いろんな人種が交わっていました。そのような中で自分の言葉でしっかり物事を伝える重要さを
記した言葉として知られています。キリスト教を「言葉の宗教」と呼ぶ人もいます。

それに比べて仏教文化、神教文化を基本とする日本人は言葉よりも精神面を重視する特徴があります。自分の言葉で具体的に要求したり意見をストレートに言うことは
逆に疎んじられることもあります。

私は最近、若い方が言葉を軽んじているように感じます。特にビジネスの場において、言葉が足らなかったり、表現が間違っていたことで、思いもよらない
トラブルに発展する場面にもよく遭遇します。

聞いた話ですが、英語教育に各社力を入れている状況の中で「正しい日本語教育」を社員全員に課している企業があります。なぜかというと、コミュニケーションツールで
差別化できるツールは「言葉」だからだというからです。メールやSNSなどでの情報共有やコミュニケーションが一般的になっていますが、企業がコミュニケーションという側面で自社の差別化を図ることを考えると、「言葉」が最も他社との差別化が図れるという考えから始められたようです。

私たちの日常でも、席の向かいにいる方から、伝言がメールで送られることはありませんか?これは日本人から言葉が退化している表れとも見えます。
みなさん、ぜひ今一度言葉の重要さを見直して、丁寧にかつ積極的に言葉を使うようにしましょう。