「上善如水」という言葉があります。古代中国の哲学者・老子の言葉で、最上の善は水の如しと読みます。
最上の善とは争いのない生き方だそうで、出世や金儲け、権力や名声の為に争う事の愚かしさを説いています。
水は高みから流れ下り、低い所に溜まります。
人の行き方もそんな水の如く、あるがままにあるべきだというのです。

なんだか負け犬の負け惜しみの様にも読めますが、あながちそうでもありません。
戦国ファンには有名な、名軍師といわれる黒田如水。その名に因んで水五訓なる教えを遺しているといいます。

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり。
二、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
三、常におのれの進路を求めて止まらざるは水なり。
四、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。
五、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ、霰と
  化し凝しては玲瓏たる鏡となりたえるも、その性を失はざるは水なり。

その意は、
一、水が自ら流れる事で、浮く木や沈む岩を動かす様に率先垂範する。
二、堰き止められた水が溜まって水勢が増す様に、障害に当たった時は逆に力を溜める時。
三、水流が常に動き行く様に、自分の道を突き進もう。
四、自らの清浄で他の汚れを浄化し、以って自らも汚濁する水の様に、どんな人でも受け入れよう。
五、大洋を充たし、蒸気や雲や雨、さらにはあられや雪や鏡の様な氷にさえ変化するが、
  水は水である事に変わりはない。周囲の環境に柔軟に対応変化しながらも、自分を見失わずに生きる事が肝要。

水は本来は形がなく入れ物に沿って自由に変化します。それ柔軟さはある意味弱さの極限です。
でもだからこそ、それはどんなに硬い石でも傷つける事のできない強さでもあります。
また弱々しい細い水流も集まり貯まり膨大な量になると、
どんな巨岩もその勢いを押し留める事ができない強大な力を有します。
そして何よりも水は、人に限らず全ての生命にとって無くてはならない根源的なもの。

そんな水の様な人になれたら、そんな生き方ができたら、それはどんなに素晴らしい事でしょう。