安全は日常にあふれています。しかし、それは誰かが提供してくれたものです。

例をあげれば水の安全、交通の安全、住宅の安全など、これらは人々の仕事によって提供されているものです。
日々の業務の中で繰り返される安全確認、点検、修繕によって維持されています。
これらの仕事は世間において評価されているでしょうか。

人々は通常安全を目にすることが出来ません。そして気づくことができません。
故に安全の価値を正しく評価できなくなる時があります。安全は軽視される傾向にあるのです。
安全にはもちろん費用がかかりますし、時間もかかります。目に見えないものに手間をかけたくない気持ちも分かります。

安全を時に目にすることがあります。それは安全が壊される瞬間です。
災害や事故、事件の時、人々は壊される安全を見て、安全の価値を再認識します。
なぜより強固な安全を提供できないのかという空気は災害や事故、事件の後にしか漂いません。

安全は一度壊れると中々直すことができないものです。
それは目に見える設備の修繕と人々の意識の復旧が必要だからです。

安全は目に見えないけれど、たしかに価値あるものなのです。
日常において、安全を壊さずに安全の価値を認識するためにはどうするべきなのでしょうか。

それは時々は大切な人や家族、そして大切なもののことを考えることが必要だと私は思います。
人は大切な存在を守ることを考える時、安全について考えるのではないでしょうか。
安全について考えるということは安全に関わる仕事の人を評価できることにつながるでしょう。

今日のスピーチが大切な存在をを考えること、そして安全を考えることのきっかけなればと思います。